
- 12 Fri. 2016up BEPPU-EKI お食事処 とよ常 北浜本店
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駅前通りから北に伸びる新銀座通りに、手書きのメニューが貼られた賑やかな外観のお店がある。「味のあなば」は明るいママと、料理一筋のマスター、二人三脚で歩む人情溢れるお店。
駅前通りから北に伸びる新銀座通りに、手書きのメニューが貼られた賑やかな外観のお店がある。
「味のあなば」は明るいママと、料理一筋のマスターが2人で営むお店。元々は旅館の女将をしていたママが、旅館を畳む際に、それまで使っていた器や調理器具を引き続き使えるようにと6年前に始めたのだという。
「オープンして数ヶ月たったころ、勤めてくれていた板さんが体調不良で辞めてしまってね。それからしばらくは自分1人でお店をしていたの。つくれる物が限られているから、友達に手伝ってもらったりしてね」いよいよ1人では難しくなり、お店を閉めることも考えていたところを助けてくれたのがマスターだった。
元々は旅館の女将をしていたママが、旅館を畳む際に、それまで使っていた器や調理器具を引き続き使えるようにと6年前に始めたのだという。
元々料理好きだったマスターが、本格的に料理の道へ進んだのは大学時代に友人に誘われたことがきっかけ。手際が良く、気も利くことから料理人にならないかと声を掛けられた。親の反対を押し切り、通っていた大学も辞めて進んだ道は険しかったという。
「周りは15~6歳から始めているところに、20歳で入ったでしょう。周りからの風当たりはきつかった。けれど悔しいから頑張りましたね」使われずに捨てられた、ネギの青い部分を拾っては1人遅くまで刻む練習を行ったりと、持ちの負けん気で乗り切ったのだと言う。
元々料理好きだったマスターが、本格的に料理の道へ進んだのは大学時代に友人に誘われたことがきっかけ。
料理人として独り立ちしてからは、京都や小倉でさらに腕に磨きをかけた。別府に戻ってきてからも、様々な厨房を助っ人として渡り歩いたという。
「仕事は手を抜かずに、きっちりとやりたいんですよ」と語るマスターの料理は、盛り付けもとても繊細。舟盛りに飾られたハランの葉には、丁寧な細工が施されていた。たまに口調が厳しくなることもあるけれど、ママは明るく笑い飛ばす。常連さんはそんな2人のやりとりを、また始まったか、と笑うのだそう。
店内には、カメラ好きなマスターが撮った、店を訪れる人々の記念写真が飾られている。二人三脚で歩む人情溢れるお店の壁には、今日も新しい笑顔が増えていく。
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突然ですが「べっぷぢごくすごろく」完成しました。
『別府ONSENアカデミア』は、温泉の様々な魅力を検証し、大切な資源である温泉を守りながら、国内の多くの温泉地とともに新たな温泉の可能性を全国、そして世界に向けて発信する温泉のシンポジウムです。
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大分では皆が知っている「とり天」は、別府に限らず大分県民なら日常的に食べている、いわば「大分県民のソウルフード」とも言えるご当地グルメです。このとり天は、大正時代に別府市に誕生した大分県初のレストランがルーツと言われています。
駅前通りから北に伸びる新銀座通りに、手書きのメニューが貼られた賑やかな外観のお店がある。「味のあなば」は明るいママと、料理一筋のマスター、二人三脚で歩む人情溢れるお店。
ソルパセオ銀座商店街にある「すが乃」。夫婦二人三脚で、毎日お客さんを迎えているが、その前は北九州でソフトボール選手の女子寮の寮長さんと寮母さんだったのだそうだ。
「そむり」と書かれた看板に促され、2階へと続く階段を上がると、そこだけ別の時を刻んでいるような古い時計。外の喧騒を全く感じさせない店内は、飴色の床にレンガの壁、銅製のレンジカバーなど、昔ながらのステーキハウスという風情。
創業約50 年の和菓子屋さん、「亀家」の「棒きんつば」。サービス精神が込められたきんつばは、手にのせるとずっしりと重みがある名物お菓子です。